2008年9月
これから始まる膨大なコンサートツアー。さてどこからは始めるかなと、とりあえず自分へのご褒美兼必需品となる車の購入を考えた。車に膨大なお金をかけるという哲学のない私は中古車探しに取り掛かった。日本車、小回りの聞く小型車、燃費が良いもの、という3つのポイントを考えて選んだのが、トヨタヴィッツ、98年型、マニュアル車。
持ち主はマンシュ海峡の近くに住む警察官で、几帳面だったのか古い割には比較的きれいに温存されていて、買った当時は新車と間違えてしまうほどそれはそれは素敵な車だった…☆☆。生まれて始めてのマイカー、深緑の小さく丸みを帯びたその曲線が素敵な自分だけの車…にうっとりしながら、「まめ蔵」と命名した。
今日ではこのまめ蔵、手荒く扱われ「走るゴミ箱」とまで呼ばれてしまうほどのポンコツ車に変貌してしまった。それでも多くのコンサートツアーを共にし、分かち合ったまめ蔵には、かなりの愛着があるし、これから先も手放すつもりはまったくない。
2008年10月26日
コンクールが終わって最初のコンサートはフランス、ブロターニュ地方のサン・ジル・クロワドゥヴィという港町である。私の住んでいるノルマンディ地方のカンから約400キロほど離れた小さな街で、電車で行くとなると何度も乗り換えが必要となる。そこでまめ蔵と旅に出ることにした。
その日は朝から深い霧が街全体を覆っていた。私は方向感覚というものが生まれてこのかた全くない。それも半端じゃなく、ない。東京の実家は中央線の国立であるが、大学に通っていたころ、自分の駅ですら何度北口と南口を間違えて出てしまったかわからない。大学の敷地内でも迷子になったことが多々ある。大学の奏楽堂(ホール)内で方向を見失ったこともある。レッスン日にオルガンの場所にたどり着けず、既にオルガンコンソール付近に待機されていた私の師匠鈴木雅明氏に「オルガンどこですかー?
先生どこにいらっしゃるんですかー?」と泣きべそをかきながら叫んだ記憶もある。
そんな私が独りで知らない地に足を踏み入れる(しかも車で)のは、歴史的な「インディペンデンス・デイ」とでも言うべき第一歩であっただけに、事前に相当なチェックが必要であった。予めインターネット上で地図を印刷しておいたが、運転しながら地図を見るという器用かつかなり危険なことなどできない私にとっては、あのときほどナビが役に立ったことはなかった。初めての車の旅でドキドキしていたこともあって、アドレナリンの活躍により約5時間ほどノンストップで走りぬけた。
コンサートが行われる教会に着くと、そこに小柄なそしてとても優しそうな、なんだか靴の仕立て屋さんのようなムッシューが自信なさげに佇んでいた。そう、彼がオルガニスト、ポール・ジョフリだった。事前にメールのやり取りをしていたが、予想していたポール・ジョフリとはかなり違っていた。
車を止め、駆け足で彼のほうに向かい手を振って挨拶をしたが何の反応もない。あれ、やはり彼ではないのかなと思ったが、約束の時間に教会の前で待っているのは彼しかいない。自信なく声をかけてみて初めて、彼は私に気がつき、私は彼が盲目だと気がついた。愛想のない不器用そうな奥さんは、その内側に玉ねぎの芯のような白く強くそして純粋なモラルと優しさを備えたとても素敵な人で毎晩とてもヘルシーでおいしいご飯を作ってくれた。点字の楽譜や、点字の手紙の書き方などを教えてくれ、私の名前を点字で打ってくれた小さな固い紙は、4つに折りたたんでいまだに大事に持っている。
コンサートの当日朝、彼のミサでの奏楽に立ち会った。前日レジストレーションのためのポストイットや楽譜の整理に必死になっていた自分が恥ずかしく思えるほど、彼は視覚的技術を必要としていなかった。いかに私が視覚的な情報に頼っているか。楽譜、音符、文字、ポストイット…。ポールにとって、音楽って100パーセント聴覚なんだ。そんな当たり前のようでいて実はすごく大事なこと、最近忘れていたかも。楽譜にとらわれている悲しい私を思った瞬間…。盲目オルガニスト、ポールとの素敵な出会い・・・。もちろんコンサートは無事終わり、ハッピーエンドなのだけど、あとから思い出すと、自分の演奏よりこういう小さなエピソードの方が記憶に残っていたりする。
2009年10月。
10月も終わりだというのに暑さすら感じる快晴。まだまだ慣れない車での独り旅で緊張していた上に、もちろんクーラーなどない小さなまめ蔵の中は、まるでサウナのようだった。少しでも涼しい気持ちになろうと、「フランス・ミュージック」(クラシックのラジオ番組)を聴きながら汗を拭き拭き現地にむかった。ベルネリー・アン・レは、そう、ブロターニュ。初めてのブロターニュ地方。ノルマンディからブロターニュに入った瞬間、場所が変われば空気も変わるかなと思って窓を全開にしてみたけど、変わったのはまめ蔵の内部の空気が循環され、涼しい空気をすった私の気分。気持ちいい!と深呼吸。
着いたら姉の理津と合流することになっていた。結局、会えたのはお昼すぎ。ブロターニュに来たのだから、やっぱり食べなきゃね!とテラスでギャレットを食べた。天気もいいし、ギャレットもおいしいし、初めてのブロターニュだし…と、うきうきしていたのもつかの間。サンシュルピスのオルガニスト、ダニエル・ロート氏が来ていて、コンサートにも聴きにくるらしいという情報をゲットし、一気に恐れ多い気分に。 しかし、私が思っていたダニエル・ロート氏と実際のダニエル・ロート氏はかなり違っていて、意外な面がたくさん。そもそも話し方がアルザスなまりのとてもゆっくりとしたフランス語で、とてもチャーミング。奥さんは小柄なとってもかわいい方で、彼女とはそれなりに会話が成り立っていたと思う。一方、ロート氏との会話は何かぎこちなく、やっとみつけた共通の主題、「シャルトル国際コンクール」でも軽くずっこけてしまった。彼はこのコンクールのために作品書いていて、選択できる課題曲として挙がっていた。私はロート氏の作品でなくエスケッシュの作品を選んだので、彼の作品は弾く機会がなかった。しかし彼に満面の笑顔で、「コンクールでは、僕の作品を演奏してくれたかい??」と聞かれたときは、本気で嘘をつきたいと思った。まあ、でもそんな気まずい瞬間も、ブロターニュの話やら私がその時に弾いたアンドレ・イゾワール氏の作品のことなどの話で、なんとなく消え去り、最終的には素敵な時間を過ごせた。
この後、ロート氏とはサンシュルピス教会でのコンサート、そして意外なことにセヴィリアでも再会することになるのである。
2012年3月11日。
初夏並みに暑いドーニャ・マリアホテルのテレビでは、どのチャンネルでも東日本大震災が取り上げられている。とっくにメディアからほっぽり投げられていたのに、3月11日だということで突然どのチャンネルでもトップニュースとして取り上げたのだ。明日になればまた、誰もが話題にもしないのだろうと思いながら、眉毛をしかめ重々しく話すニュースキャスターをまじまじと見つめて「偽善」という言葉を思い浮かべてしまう卑屈な自分もいる。理津が昨日から何度も電話してきて、車、飛行機、電車気を付けてねと、幾度となく繰り返し、結局出発の朝7時に愛犬ティティとキナコを連れて見送りにうちまでやってきた。そこまでされると逆に何か本当に起こるのじゃないかとかちょっと怖くなったりもしたけど、これが姉妹愛というもの。震災後一年たったスペインのセヴィリアは平凡な暑い日曜日であった。
現地はノルマンディの真夏並みに暑いとも知らず、もこもこの暖かいコートを羽織って、出発したものの、いざセヴィリア空港に着き、オレンジみたいな太陽の下で空を仰ぐと、実にあほらしい気分になった。
3月のセヴィリアの日曜日。南へ行けば行くほど人が明るくなるとよく言われるが、これは絶対にこのこぼれ落ちるようなまっ黄色の太陽の笑顔からくるのだ。摂氏28度、観光客で賑わうセヴィリアの午後。長旅を終え、暑く乾いた空とオレンジの木の下でビールとハモンイベリコを頬張る。翌日の悪夢も知らぬが仏、外
翌朝、カテドラルのオルガニスト、アヤラ神父から電話があり、ダニエル・ロートを交えてランチに誘われた。というのもロート氏が今夜このコンサートシリーズの幕開けをするのだ。ちなみに第2夜が私、第3夜がバチカンのあのミケランジェロの天井画で有名なシスティーナ礼拝堂のオルガニスト、ファン・パラデル。すごい順番に挟まれたものだとちょっと感嘆する。(ちなみにこのスペイン人のパラデル氏、とても気さくな方で、コンサート後、私の演奏を大変気に入ってくれ、彼の住むローマに弾きに来てほしいとコンサートのお誘いをいただいた。)というわけで、ロート氏も先日からこの地に上陸していたのである。
ランチの場所は、2年前にもアヤラ神父に連れて行ってもらった車のガレージを修復したローカル向けの落ち着いた雰囲気のレストラン。彼曰く、観光客は一切受け入れていなく、完全予約制でVIPしかこないとか!? せっかくだから名物を食べようと思って頼んだのはもちろん、トロ。寿司のネタじゃなくて、闘牛のトロ。その日がコンサートでなくて本当よかったってぐらいに、思う存分食べて飲んでしまって、スペイン人がシエスタが必要なのはコヤツ(トロ)のせいだと確信した。
と、ここまでだと素敵なバカンスと何ら変わらないのだけれど、ここから先が旅芸人的リズムになっていくのである。結構長いシエスタのあと、カテドラル内の観光時間とロート氏のコンサートの関係で、リハーサルは夜11時から。どちらかというと朝方の私には、これが結構つらいのである。カテドラルのオルガンはむしろ「視覚的に凄い楽器」であった。まさにスペインのこれでもかというほどのこてこてのバロック調ファッサード。あれだけ過剰に水平トランペットがついて(むしろ「生えて」いるというべきか…)いればものすごいデシベルの音量だろうと思いきや実はこれが案外見た目より控えめなのである。
乾いた空、過剰な水平トランペット、オレンジ色の太陽、グワダルギビール川の涙・・・。これが私の「セヴィリアの春」。